竹村 茂雄 たけむら しげお
   

きさらきの けふしもすたつ ひなつるは
はなにすみかを しむるなるらん
如月(=二月)の 今日しも(=にも)巣立つ 雛鶴は
花に住処を 占むる なるらん
5.4p×36.1p

明和6年2月16日(1769年3月23日)生〜弘化元年12月13日(1845年1月20日)歿
 江戸後期の国学者。名は初め為本。通称、平右衛門。号は穂向屋。伊豆国君沢郡熊坂村(静岡県修善寺町)の豪農の家に生まれた。2歳のとき父を失い、叔父に養育されて寛政5年(1793)25歳で家を継いだ。
 同7年松坂(松阪市)に至って本居宣長に入門した。同9年江戸に出て村田春海の門を敲き、加藤千蔭、清水浜臣らとも交わった。文政元年(1818)伊勢内宮に75両を奉納。その利息金で宣長の『直日霊』を同8年に出版した。
 一方、伊豆における国学の興隆に力を入れ、門人に江川英竜をはじめ200名以上を擁した。韮山代官江川太郎左衛門も茂雄の影響を強く受けたという。
 天保8(1837)年に起こった大塩平八郎の乱や生田万の乱に衝撃を受け、農民の惨状を訴えた「憐農民詞」を著して幕府に献じた。
 著作に『道守之標』『穂向屋集』などがある。

推奨サイト
https://kotobank.jp/word/%E7%AB%B9%E6%9D%91%E8%8C%82%E9%9B%84-18686
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/takemura.html


参考文献一覧      HOME